※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※                     第 391 号  2023 年 6月   15日 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※      みなさん、こんにちは。    「 セルフ・カウンセリング ♪自分の心に出会えるメルマガ♪ 」    をお読みいただきありがとうございます。    みなさんは、セルフ・カウンセリングという言葉を    耳にしたことがおありですか?    これは、渡辺康麿氏が創案した、    書いて読む、一人で出来る自己発見法です。    私たちは、このセルフ・カウンセリングを学んでいるグル-プですが、    みなさんにも、ぜひ、この方法をお伝えしたいと思い、    同氏の著書を連載することにいたしました。    楽しくお読みいただけたら幸いです。   〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜    連載になっております。興味のある方は、    バックナンバーからお読みいただくとわかりやすいと思います。       1号〜    「自分の心に出会える本」     23号〜    「自己形成学の創造」     32号〜    「セルフ・カウンセリングの方法」     62号〜    「自分って何だろう‐現代日本人の自己形成‐」    136号〜    「大人の自己発見・子どもの再発見」 176号〜    「自分を見つける心理分析」 286号〜    「避けられない苦手な人とつきあう方法」 334号〜    「わかっていてもイライラするお母さんへ」 356号〜    「小学生にわかっていてもイライラするお母さんへ」     376号〜 新連載「反抗期とわかっていてもイライラするお母さんへ」  バックナンバーはこちら→https://secure02.red.shared-server.net/www.self-c.net/mg/index.html   〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜* ************************************** **************************************    人は、生まれてから今に至るまでの人生の中で、    いろいろな経験をします。        そして、その経験を通して、    「こうしなければならない」とか「こうあらねばならない」とかいう    その人なりのモノサシを形作っていきます。    自分の生い立ちを振り返ることによって、    無意識に取り込んできたそのようなモノサシに気づき、    そのとらわれから自由になっていく方法を    自己形成史分析といいます。    セルフ・カウンセリングという方法は、    このような、自己形成史分析という    自己探究の方法が基礎になっています。        ☆★☆ セルフ・カウンセリングとは? ☆★☆    セルフ・カウンセリングでは、    自分が経験した日常生活のある時の場面を書きます。        家庭や学校、職場での場面など、どのような場面でもかまいません。        テレビを見た時、本を読んだ時、一人で考えている時など、    相手がいない場面も大切な題材になります。    もちろん文章の上手・下手はまったく問題ありません。    専門知識も必要ありません。        自分が見たこと、聞いたこと、思ったこと、言ったこと、したことを、    時間の順にそのまま書くと、リポートになります。    まず、自分が何を悩んでいるのかわかります。    その悩みの奥に、どのような願いがあるのかわかります。        そして、相手の気持ちがわかります。        そうすると、自分と相手の気持ちを尊重しつつ、    心を通わせてゆくための知恵が生まれます。        人間関係のすべてに共通する心のからくりを、    自分の経験を通して学ぶことができます。 ************************************** **************************************              「反抗期とわかっていてもイライラするお母さんへ」       中・高校生の心が見えてくるセルフ・カウンセリング                                    渡辺康麿著  より抜粋    ( vol . 16 ) ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++          ─ 親子で学ぶセルフ・カウンセリング体験記 ─     ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++              2 親の言うことなんて!            と思っているのかしら!?                      子ども達への共感的な思いが            生まれたことに気づいて       的場由紀恵            兄弟がそれぞれの気持ちを表現できた! ( 体験記 2 ー 前半 )  ☆★☆ 早く何とかしなければ ☆★☆  私には、中三と小六になる二人の息子がいます。  二人には、できるだけ公平に接して来たつもりなのですが、  どう言うわけか長男は、ひがみっぽい性格に育ってしまいました。 『僕ばかり損をしている』が口ぐせで、何かと言うと、弟にやつ当たりをするのです。  特に、長男が、思春期に入ってから、やつ当たりの度合いが、エスカレートして来ました。  これまでは、弟の頭をこづく程度だったのですが、  最近ではものを投げたり、足でけったりするようになって来たのです。  気の弱い次男は、長男の剣幕に押されて、何も言えずに、べそべそ泣くばかりです。  このまま、長男のやつ当たりがエスカレートし続ければ家庭内暴力にもなりかねません。  それに、やられてばかりの次男に、悪い影響がでるのは時間の問題です。  早く何とかしなければという、あせりの気持ちが私の中に起こってきました。  ☆★☆ この方法なら信頼できるかもしれない ☆★☆  そんな時、“セルフ・カウンセリング”と言う小冊子を目にする機会がありました。  友人が、“セルフ・カウンセリング”を学んでいて、セルフ・カウンセリング学会の会員になっていたのです。  小冊子は、学会の機関誌でした。  そこには、玉川大学の渡辺康麿教授の巻頭言の他に、  セルフ・カウンセリングを実践した方の体験記が載っていました。  その中に、思春期のお子さんとのかかわりを見つめられたお母さんの体験記が載っていたのです。  私は、このお母さんの書いた、場面記述というものに、心が動かされました。  そこに書かれているお母さんとお子さんとのやりとりは、とてもリアルで、迫力のあるものでした。  私は子育てに悩むようになってから、数多くの育児雑誌や育児書を読んで来ました。  そういう雑誌や本には、“こうしたら、うまくいった”というような体験記が載っていることが、よくありました。  そういった体験談が、私には、作り話めいて感じられていたのです。  <そんなに簡単にいくわけはないわ>とか  <こんなにうまくいくなら、誰も悩まないのに>とかいうように、  読むうちに、批判めいた気持ちがつぎつぎに起こってくるのです。  けれども、このお母さんの体験記は、今まで私が読んできた体験記とは違っていました。  さまざまに葛藤する、そのお母さんの胸のうちや、  思春期の子ども特有の、複雑な反応が、実にリアルにいきいきと描かれていました。  <そうそう。冷静にならなくちゃ、と思っていても、知らず知らずのうちに感情的になってしまうのよね>とか  <うん。この時期の子どもって、こんなふうに訳がわからないのよね。   それでいて、こちらが気持ちをうまくキャッチしてやらないと、すぐにじれて、つっかかって来るのよ>  とかいうように、読みながら、いつしかこのお母さんの気持ちに共感してうなずいていました。  そんな気持ちで場面記述を読むうちに、  いつしか、私は<この方法なら信頼できるかもしれない>と思えるようになっていました。  私は、思い切って、小冊子に書かれていた連絡先に電話を入れてみました。  セルフ・カウンセリングを学ぶ方法を紹介してもらうためです。  研究所の方から紹介された、さまざまな学習方法の中から、私は、通信教育を選びました。  書くことは苦にならない方でしたし、  マイペースで学べることや、講師の先生からマンツーマンで指導を受けることができることが魅力だったからです。  ■初めて書いた記述  【なにすんだよ! ババァ!】  【場面説明】  冬のある朝。自宅の食堂で。  登校前のあわただしいひとときのこと。  時間ぎりぎりに起きて来た長男健一が、先に起きていた次男慎司につっかかって、けんかになった。  【場面記述】  健一がバタバタと階段を下りてきた。  私は「健一。パンが焼けてるわよ。さめないうちに、早く食べちゃいなさい」と言った。  健一は私の方には目もくれず、まっすぐ暖房の方へ行った。  私は「何やってるの!早く食べちゃいなさい。もう時間ないのよ」と言った。  健一は慎司に「おい、どけよ」と言った。  慎司は「え─。なんでー」と言った。  健一は「おまえ、もう、あったまっただろう。いつまでもくっついてるんじゃないよ。      早くメシ食えよ」と言って慎司の体を押した。  慎司は「まだ寒いよ。いいじゃん、一緒にあったまってたって」と言ってにらみ返しながら、足を踏ん張っていた。  健一は「おまえがいると、あったまるのによけい時間がかかるんだよ。じゃまだから、どけ!」と言いながら、      慎司の身体をもっと強く押した。  私は<自分がぎりぎりまで起きなかったのが悪いんじゃないの。どうしてこう自分勝手なんだろう>と思った。  私は「よしなさい。健一。一緒にあったまればいいじゃないの。     あなたがぎりぎりまで寝ているからいけないのよ」と言った。  健一は私を無視して、慎司の頭をたたこうと手を振りあげた。  私は思わず「健一、いいかげんにしなさい!!        なんで、こんなことで、こんなに大さわぎしなきゃいけないの!」と叫んだ。  健一は、私の方を見向きもせず、続けざまに慎司の頭をたたいた。  慎司は頭を抱えてうずくまり、泣き出した。  私は「健一!やめなさい!!」と言いながら、健一の手をつかんだ。  健一は「何すんだ! ババァ!」と言って手を振りほどき、私をにらんだ。  私は一瞬息をのんだ。  私は気をとり直して「いいかげんにしなさい」と言った。  健一は、私を押しのけ、食堂を出て行った。  ☆★☆ 問題のある子、と指摘されたらどうしよう ☆★☆  私は、記述を書き終えると、すぐに、それを投函しました。  投函するまでは夢中だったのですが、投函してからだんだん不安になってきました。  <教科書の中に書いてあった“ありのままをそのままに見つめてみましょう”という言葉をうのみにして、   わが家での子どもたちとのかかわりをそのままに書いてしまったけれど、本当に良かったのかしら。   あれを読んで、先生はどうお感じになるかしら。長男の様子にびっくりなさるんじゃないかしら。   情緒的に問題のある子だ、と指摘されたらどうしよう。何だか、こわいな>という思いが起こってきたのです。  どのような添削をされるのか、早く知りたいようでもあり、  また、それを読むのがこわくもあり、落ち着かない気持ちで、  私はリポートが返却されてくるのを待つことになりました。  ☆★☆ 気持ちを受けとめてもらえた ☆★☆  リポートが返却されてきて、私は、すぐに先生の書かれた添削に、目を通してみました。  赤ペンでびっしりと書かれた添削は、初めて記述を書いた労をねぎらう言葉から始まっていました。  そして、記述について、その時の私の気持ちを問う問いかけがいくつか書かれており、  最後は、二人の子どもを心配する私の気持ちを温かく受けとめて下さる言葉で締めくくられていました。  添削を読み終えて、私は、ほっとしました。  添削の中には、長男に対して問題を指摘するような言葉も、  その責任を私に問うような言葉も書かれていませんでした。  それどころか、“さぞ、お心痛めておられることと思います”と、  兄弟の対応に頭を悩ませている私の気持ちを、やさしく思いやって下さっていたのです。  リポートを投函してから、ずっと感じていた落ち着かなさが、この時、すっと落ち着くのを感じました。  そして、あらためて、私の書いたリポートとともに、添削を読み返してみました。  ☆★☆ 最初から健一に対して批判的だった ☆★☆  私の書いた場面記述に対して、つけられた添削は、全部で五つありました。  初めの添削は、“健一はバタバタと階段を下りてきた”と言う個所につけられていました。  『“バタバタと”とお書きになったところに、   的場さんのお気持ちがこめられているように感じたのですが、いかがでしょうか。   例えば、<時間ぎりぎりに起きて、バタバタして、あわただしいな>というような。   この時、健一君は、具体的には、どのような様子で降りてこられたのでしょうか。   大きな足音を立てて下りてきたのでしょうか。   また、その健一君に対して、的場さんは、どのようにお感じになったのでしょうか。   健一君の具体的な様子を相手の欄に書き、   それをごらんになってお感じになったことを自分の欄に、心のセリフとして書いてみましょう』  と書かれていました。  “バタバタと”と言うところに、私の気持ちが込められている、と書かれて、  私は、最初は、ぴんと来ませんでした。  けれども、確かに、“バタバタしてあわただしいな。もっと早く起きれば良いのに”という、  批判めいた気持ちが、健一に対してあったことが、思い起こされてきました。  私は、健一の足音を聞いた時点で、すでに、健一に対してとがめるような気持ちでいたのです。  そのことにあらためて気づかされました。  ☆★☆ 無視されたようで腹が立った ☆★☆  次の添削は、“健一は私の方には目もくれず、まっすぐ暖房の方へ行った”という個所につけられていました。  『暖房の方へ行った健一君を見て、的場さんは、  <私の方には目もくれないわ>というようなお気持ちになられたのでしょうか。  もし、そうであるなら、相手の欄に、健一君の様子を具体的にお書きになり、  それをごらんになって的場さんがお感じになったことを自分の欄に、心のセリフの形で書いてみましょう』  この添削を読んで、私ははっとしました。  私は、“私の方には目もくれず暖房の方へ行った”というのを、  健一の行動として、迷いもなく書いているのですが、こう問われてみて、 “私の方には目もくれず”というのが、私自身の気持ちであったことに気づきました。  この時、まっすぐ暖房の方へ向かった健一に対して、カチンと来たのが思い起こされてきました。  無視されたようで、ちょっと腹が立ったのです。  私はその気持ちも、心のセリフの形で表現してみました。  ☆★☆ 健一に対する否定的な気持ちばかりが出てくる ☆★☆  三番目の添削は、  “健一は私を無視して、慎司の足をけった。健一はなおも、慎司の頭をたたこうと手を振りあげた”  という個所につけられていました。  『慎司君の足をけった健一君に対して、  的場さんは、<私を無視して・・・>というようなお気持ちをいだかれたのではないでしょうか。  手を振りあげた健一君をご覧になって、  <健一は、なおも、慎司の顔をたたこうとしている>というような、お思いになったのではないでしょうか。  もし、そうであるなら、  相手の欄に、健一君が足をけったり、手を振りあげたりした様子のみをお書きになり、  それに対して、お感じになったことをご自分の欄に、心のセリフとして表現してみましょう』  確かに、“私を無視して”というのは、健一の具体的な様子ではありません。  私の気持ちです。  また、“慎司の顔をたたこうとした”というのも、  私が健一の様子を見て、そうしようとしているのだろう、と想像したことにすぎません。  それらが、自分の思いだということは、良くわかるのですが、  しだいに私は、その気持ちを心のセリフにすることに、ためらいを感じ始めました。  というのは、添削の発問に応じて、書き加えた心のセリフは、  すべてと言ってよいほど、私の健一に対するいら立ちや腹立ちの気持ちなのです。  書けば書くほど、自分が健一に対して否定的だった、ということが見えてきて、  何だか、たまらない気持ちになってきたのです。  ☆★☆ こんなところにも思いが隠されていた ☆★☆  沈みがちな気持ちを励ますように、自分の添削を読んでみました。  それは、“健一は私の方を見向きもせず、続けざまに慎司の顔をたたいた”と言う個所につけられていました。  『慎司君の頭をたたいた健一君に対して、  的場さんが、<私の方を見向きもせずに、たたいた>と言うように、お受けとりになったのではないか、  と推察したのですが、いかがでしょうか。  もし、そうであるなら、健一君が慎司君の頭をたたいた様子を相手の欄に書き、  それをごらんになって、的場さんがお感じになったことは、自分の欄に心のセリフとして、表現してみましょう』  私は、思わず、ため息をついてしまいました。  <まだ、こんなところにも、私の思いが隠されていたのか。   しかも、これもまた、健一に対する腹立ちの気持ちだ>  ため息をつきながらも、ここまで書いてきて、  ここでやめるのは、何だか悔しくて、半ばヤケになりながら、私は、心のセリフを書きつづりました。  ☆★☆ “一瞬息をのんだ”という気持ちが表現できた ☆★☆  私のリポートにつけられていた最後の添削は、  “私は一瞬息をのんだ。私は気をとり直して「いいかげんにしなさい」と言った”  というところにつけられていました。  『この時のお気持ちを、良く思い返されて表現しておられますね。   ちょっと難しいかもしれませんが、   もし、できましたら、“一瞬息をのんだ”お気持ちも、心のセリフにできると良いですね。   また、“気をとり直し”たお気持ちも、心のセリフの形で表現できるとよいですね。   どのような“気(持ち)”を、どのように“とり直し”たのか、   ご自分に問うてみると、表現がつきやすいかもしれません』。  添削の中にも書かれていましたが、“一瞬息をのんだ”という気持ちを心のセリフにするのは、  とても難しいように感じられました。  そこに書かれた通り、本当に一瞬のできごとでしたし、  “息をのむ”というのも、それ以外の言葉で表現がつかない感じでした。  けれども、どのような気持ちをどのようにとり直したのか、という問いかけには、  何とかこたえられるような気がしました。  私は、この時、一瞬、動揺したのです。  健一が悪くて、私が正しい、という思いで、叱っていたのが、  自分にも非があることに気づいてしまったからです。  けれども、ここで自分の非を認めてしまったら、親の沽券(こけん)にかかわります。  私は、動揺した気持ちを必死に抑え、  “健一が慎司に手や足を出したのは、確かなのだから、私が叱るのは当然なのだ”と自分に言い聞かせ、  最後まで、親としての威厳を保とうとしたのです。  このような形で、自分の気持ちの流れをたどっていく中で、  この中に、すでに“一瞬息をのんだ”という気持ちも、  “動揺した”思いとして引き出されていたことに気づきました。  私は“一瞬、息をのんだ”という個所を、次のような心のセリフにしてみました。  “<あっ、すごい目。本当に怒っている目だ。この子は、私の言葉を聞き流していたのではない。    私の言葉をちゃんと聞いて、それに反発していたんだ。    私は、聞き流されている、と思って、かなり感情的にいろんなことを言ってしまった。    どうしよう。親として、子どもに対して感情的になるなんて、最低だわ>”というように。  そして、“気をとり直した”という個所を、次のような心のセリフにしてみました。  “<でも、健一が、慎司に手や足を出したのは、確かなんだから、    それだけは、きちんと戒めておかなければ>と思った”というように。  ■書き直した記述  健一の足音が聞こえた。  私は<うるさいな。足音をバタバタと“たてて。     ただでさえ、あわただしいのに、あの足音を聞くと、イライラしちゃうわ>と思った。  健一は食堂に入ってきた。  私は<ぼーっとした顔だな。まだ、しっかり目がさめていないんだな。大丈夫かしら。     早く身じたくしないと、また遅刻だわ>と思った。  私は「健一。パンが焼けてるわよ。さめないうちに、早くたべちゃいなさい」と言った。  健一は暖房の方へ行った。  私は<返事くらいしたらどうなの。こっちには目もくれない。いつものこととはいえ、感じ悪いわね。     それに、暖房で暖まっている時間なんてないわよ。さっさと食事しなければ、間に合わないわ>と思った。  私は「何やってるの!早く食べちゃいなさい。もう時間ないわよ」と言った。  健一は慎司に「おい、どけよ」と言った。  私は<また、無視だわ。親の言うことなんて、聞き流しておけば良い、と思っているのかしら。     本当に、この子はどういう神経をしているのかしら>と思った。  慎司は「えー。なんでー」と言った。  健一は「おまえ、もう、あったまっただろう。いつまでもくっついてるんじゃないよ。早くメシ食えよ」     と言って慎司の体を押した。  私は<『早くメシ食えよ』って、自分だって“メシ食”わなくちゃ遅刻でしょ。     自分が置かれている状況がわかっているのかしら>と思った。  慎司は「まだ寒いよ。いいじゃん、一緒にあったまってたって」と言ってにらみ返しながら足を踏ん張っていた。  健一は「お前がいると、あったまるのによけい時間がかかるんだよ。じゃまだから、どけ!」と言いながら、     慎司の身体をもっと強く押した。  私は<あったまる時間がないのは、自分が寝坊したからでしょ。     ぎりぎりまで起きなかったのが悪いんじゃないの。どうしてこう自分勝手なんだろう>と思った。  私は「よしなさい、健一。一緒にあったまればいいじゃないの。     あなたがぎりぎりまで寝ているからいけないのよ」と言った。  健一は慎司の足をけった。  私は<あっ、けった!なんてことするの!よしなさいって言っているのが、わからないの!?>と思った。  健一は手を振りあげた。  私は<けっただけじゃ足りなくて、今度は、たたこうとしている。ああ、もう嫌だ。     何で、朝からこんな思いをしなければいけないの。     朝っぱらからどなり散らすのが嫌で抑えていたけれど、もう我慢できない!!>と思った。  私は「健一、いいかげんにしなさい!!     なんでこんなことで、こんなに大さわぎしなきゃいけないの!!」と叫んだ。  健一は慎司の頭をたたいた。  慎司は頭を抱えてうずくまり、泣き出した。  私は<私の方を見向きもしない。こんなにきつい声で叱っているのに。     何で、この子はこたえないんだろう。私がこんなに怒っていることが何で分からないんだろう。     もう、この子には、口で言ってもだめだ!!>と思った。  私は「健一!やめなさい!!」と言いながら、健一の手をつかんだ。  健一は「何すんだよ!ババァ!」と言いながら手を振りほどいた。  健一は私をにらんだ。  私は<あっ、すごい目。本当に怒っている目だ。この子は、私の言葉を聞き流していたのではない。     私の言葉をちゃんと聞いて、それに反発していたんだ。     私は、聞き流されている、と思って、かなり感情的にいろんなことを言ってしまった。     どうしよう。親として、子どもに対して感情的になるなんて、最低だわ。     でも、健一が、慎司に手や足を出したのは、確かなんだから、     それだけは、きちんと戒めておかなければ>と思った。  私は「いいかげんにしなさい」と言った。  健一は、私を押しのけ、食堂を出て行った。  ☆★☆ 健一を小学生扱いにしていた ☆★☆  先生のつけて下さった添削には、“記述を書き直したら、記述を読み返して見ましょう。  記述全体を読む全体読み、  記述の中の自分の行動だけを読む自分読み、  相手の行動だけを読む相手読み、  これらの読み方を組み合わせて、何度も繰り返して読んでみましょう”と書かれていました。  私は、記述全体と読んでみました。  まず、感じたのは、この時、私が、健一が遅刻しないようにと、とても時間を気にしていたことです。  このできごとのあった前日も、実は健一は遅刻しており、  連日遅刻することだけは避けたいと、私はあせっていました。  “早く、早く”とあせる私を尻目に、本人は、時間など一向に気にする様子もありません。  それで、私のイライラは募っていたのです。  記述を書いた当初は、そんな健一に対して、“どういう神経をしているのかしら”という思いを抱いていました。  けれども、書き直した記述を繰り返し読んでいるうちに、ちょっと印象が変わってきました。  自分で自分の様子がこっけいに感じられてきたのです。  ハラハラしている私の様子は、まるで、小学生の子どもを心配している母親のようです。  健一は、中学三年です。  私や主人より体格も良く、外見だけなら、もう大人と言っても良いくらいです。  それなのに私は、まるで小学生の男の子が遅刻するのを心配するように、ハラハラしているのです。  <遅刻して困るのは、健一本人なんだ。   もう、それ位の責任を持って良い年齢になっていたんだ。   私は、小さなころとおなじような感覚で健一に接していたんだな。   それは、健一にとってはうっとおしいことだったのかもしれないな>と気づきました。  ☆★☆ 自分の気持ちが伝わらないことにいら立っていた ☆★☆  次に、記述の自分の行動を、繰り返し読んでみました。  <こっちには目もくれない>  <また、無視だわ>  <よしなさいって言っているのがわからないの!?>  <私の方を見向きもしない>  <こんなにきつい声で叱っているのに、何でこの子はこたえないんだろう。   私がこんなに怒っていることが何でわからないんだろう>  この心のセリフに目が止まりました。  この時、私は健一に何度か声をかけていますが、健一は、それを完全に無視していました。  そして、無視されるたびに、私は、感情を高ぶらせていったのです。  心のセリフを読むことで、私がだんだん感情的になっていく様子が良くわかりました。  <ああ、そうか。   私は、イライラしている気持ちや、怒っている気持ちが、健一に伝わっていないように感じて、   だんだん感情をエスカレートさせていったんだ>と気づきました。  “普通に言ってもわからないなら、強く言わなくては。   それでもわからないなら、どならなくては。   それでもわからないのなら、態度で示さなくては”と、私は気持ちを高ぶらせ、  最後には、“私がどれだけ怒っているか、  思い知らせてやりたい”という思いでいっぱいになってしまったのです。  ☆★☆ 私なりに愛情を感じていたんだ ☆★☆  最後の心のセリフで、私は“この子は、私の言葉を聞き流していたのではない。  私の言葉をちゃんと聞いて、それに反発していたんだ”と思っています。  健一の私をにらむ目を見て、  初めて、健一が私の怒りやいら立ちを受け流していたわけではないことに気づいたのです。  私の中に、“しまったな”という後悔の思いがわきおこりました。  けれども、親には、親の面子(メンツ)というものがあります。  私は、“しまったな”という思いを、  “でも、健一が弟に乱暴したのは事実なんだから”と言う思いで抑え込み、  「いいかげんにしなさい」という言葉で、締めくくりました。  この最後の「いいかげんにしなさい」という言葉には、これまでの勢いはなかったと思います。  ひょっとしたら、“しまった”という思いが、そのまま顔に出ていたかもしれません。  私が、この記述を書く時、一番書きにくかったのは、実は、この部分でした。  健一や慎司がどういう様子だったのか、  そして、それに対して自分はどんな気持ちだったのかは、比較的、具体的に思い出すことができました。  けれども、この部分の自分の気持ちを具体的に表現するのは、とても難しかったです。  最初の記述では、“私は一瞬息をのんだ。私は気をとり直して〜”としか書けませんでした。  この時の思いを、具体的に表現しようとすると、  身の置き所もないような、何とも言えない恥ずかしさを感じてしまったのです。  自分が、  “子どもに、きつく叱っておきながら、途中で自分の非に気がつき、   それ以上強く言えなくなってしまった身勝手な母親”であるように感じられ、   そんな自分が、認めがたかったのかもしれません。  けれども、不思議なもので、記述の心のセリフの中に、  感情的になってしまった自分の気持ちをありのままに書き表し、  それを読み返しているうちに、この時の自分を許せるような気がしてきました。  この時の私の中にわきおこって来た、後悔と動揺、というものの奥に、  健一を大切にしたい、という思いがあることが見えて来たからです。  健一の気持ちを大切にしたいと思ったからこそ、感情的になってしまったことを後悔をしたのです。  これからどう対応したら良いのか、と動揺したのです。  そう気づくと、むしろ、この時の自分に、何とも言えない温かみを感じました。  <健一に対するかかわり方は、けっしてほめられたものではないけれど、   私は私なりに健一に愛情を感じていたんだ>そう思えて来たのです。  ☆★☆ 健一も私と同じ気持ちだったんだ ☆★☆  最後に、相手の欄だけを読んでみました。  一読して、まず感じたのは、<たったこれだけのことだったのか>ということでした。  自分の欄を読んでいる時は、その時の自分の気持ちがよみがえってきて、  この時のことが、何だか、ものすごくエキサイティングなできごとのような気がしていました。  ところが、相手の欄を読むと、この時の健一と慎司とのやりとりが、  ちょっとした兄弟げんかにすぎないように思えて来たのです。  そして、さらに、繰り返し、相手の欄を読んでいると、  今度は、文と文との間から、健一の心の中のつぶやきが聞こえてくるような気がして来ました。  <いちいちうるさいな。わかっているよ。そんなこと>  <押しつけがましいんだよ。やってあげているっていう顔されるのが、うっとおしいんだ。ほっといてほしい>  健一の私へのいら立ちが、手にとるように感じられて来ました。  <健一は、親にいちいち指示されたくない、という思いを、私を無視することで、   精一杯アピールしていたのではないかしら。   けれども、そんな自分の気持ちが私には伝わらなかった。   自分の気持ちが伝わらないことにいら立ちを募らせていったのではないかしら。   そして、そのいら立ちを目の前にいた慎司にぶつけていたのではないかしら。   もし、そうなら、それは、私の心のからくりとまったく同じだわ。   私が、時間を気にしてはらはらしている気持ちが伝わらないことに感情を高ぶらせたのと同じように、   健一も、ほっておいてほしいという気持ちが伝わらないことで、いら立ちを募らせたのではないかしら>  何だか、健一がいとおしく感じられてきました。  要領よく親とかかわることができずに、不器用に自分の気持ちをぶつけてくる健一が、  とても自分に似ているように感じられて来たのです。  ☆★☆ 二人の様子を見守る余裕が出て来た ☆★☆  初めて記述を書いてから、六か月が経ちました。  相変わらず二人の兄弟げんかは続いています。  けれども、私の気持ちは、少しずつ変わって来ているように思います。  以前は、健一のどなり声や、慎司の鳴き声が聞こえてくると、  <またか。今度は何が原因なんだろう>と暗い気持ちになり、  二人の間にすぐ割ってはいっていました。  けれども、最近では、<やってる。やってる>という程度に受けとめ、  二人の様子をしばらく、黙って見ている余裕が出て来たのです。  ある日の夕食後のこと、また、ちょっとした争いがありました。  その時のことを、次のように記述を書いてみました。                 以下、次号(後半)へつづく・・・    ・・★・・ 編集後記 ・・★・・  梅雨入りの頃を迎え  花々は雨を受けて  菖蒲、紫陽花など、彩りを増し  瑞々しく咲いています。  色鮮やかに目を楽しませてくれます。  季節の変化とともに  心身の変化を感じています。  自然もさまざまに変化していくことでしょう。  自分の心で、感じたままを見つめる機会になるかもしれません。  新型コロナウィルス感染症に気をつけつつ  日々の生活の中で、  季節の変化、身体の変化に目を向けつつ  記憶をたどっています。  改めて、いま一度  何を大切にしていくか、  思い巡らせて、生活したいと思います。  ちょっと立ちどまり  深呼吸してみましょう。  自分の心の変化に  気づく機会になるかもしれません。  目まぐるしく過ぎてゆく生活の中で、  息を抜く時間を大切にしたいものです。  皆さまとご一緒に考える機会となれば、  嬉しく思います。  ご一緒に考えてまいりましょう。  次回を、どうぞ、お楽しみに!  皆様のご意見ご感想をお寄せいただけたら幸いです。  self_counseling2000@yahoo.co.jp  セルフ・カウンセリングには、  通学講座、通信講座など様々な講座があります。  詳しい内容はこちらから →http://www.self-c.net/sutady/index.html      →https://www.self-c.jp/study/self-counseling/  ご興味のある方は、下記の事務局までお問い合わせください。    一般社団法人生涯学習セルフ・カウンセリング学会  〒215-0003 神奈川県川崎市麻生区高石4-23-15  URL  http://www.self-c.net  電話 044-966-0485 ファクシミリ 044-954-3516  電子メール  self_counseling2000@yahoo.co.jp      ************************************** ************************************** ◎このメルマガに返信すると発行者さんにメッセージを届けられます ※発行者さんに届く内容は、メッセージ、メールアドレスです